新型コロナウイルス奮闘記~医師編~

『日本最高のコロナチームを目指して』

2020年新型コロナウイルス感染症が世界中で流行し、ダイヤモンド・プリンセス号の患者さんを当院で受け入れることを聞いた時、未知の新興感染症への興味とやりがいからすぐにコロナチームに立候補し、以後コロナ診療に携わってきました。この1年間は人生で一番長く忙しい1年でした。

コロナチーム立ち上げ当初は、未知なる感染症が故にスタッフ皆が不安を抱え、常に緊張感の張りつめる中で仕事をしていました。時には意見を衝突させながらも、スタッフ間でコミュニケーションを取りながら1つ1つ問題を解決し、今では素晴らしいチームになったと思っています。

この1年で100人以上の患者さんを担当してきましたが、コロナチーム立ち上げ当初に入院した1人の患者さんが大きな転機となりました。その方は入院後に重症化し、いつ亡くなってもおかしくないような呼吸状態の中で、死を覚悟しながらも不安を隠し、いつも明るく声をかけてくれました。どうにか救えないかと連日泊まり込んでモニターを見つめる日が続きましたが、ある夜「先生、正直に言って自分は死にますか?」と聞かれ、自信をもって「助けます」と言えなかった悔しさは今でも忘れられません。その方は見事にコロナに打ち勝ち、元気に退院して今でも外来に顔を見せに来て下さっています。その元気な姿が何よりの活力となり、またその経験が大きな自信になっています。

当院では中等症患者さんの診療をしていますが「中等症」と一言でいっても症状は様々です。この1年の経験と知見から、患者さん1人1人に最善の治療を提供する、また絶対に重症化させないという強い思いで日々診療をしています。残念ながら不幸な転帰を辿る場合にも、最期にできる最善の医療・看護を提供できるよう心掛けています。

今後も井田病院一丸となって「日本最高のコロナチーム」を目指して、コロナウイルスと対峙していきたいと思います。

コロナチーム医師

【2021年6月 記:コロナチーム医師 阿南 隆介】

新型コロナウイルス奮闘記~看護師編~

『最幸の看護を目指して』

井田山で71年間結核患者の治療を継続してきた病棟が、昨年「新型コロナウイルス感染症患者受け入れ病棟」に姿を変えました。「未知なる感染症」の報道が増え、感染症に強い井田病院が、増える患者を受け入れなければならない日が来ることは明白でした。

40床の病棟が満床になる可能性に備えて、必要な器材などの設備を整え、スタッフの動線を考え物品を配置しました。看護師間で防護服の着脱法から始まり、医療機器の取り扱い、新型コロナウイルス感染症に関連する病態の研修会を積み重ねながらスタートしました。井田病院に求められたのは中等症患者の受け入れでしたが、瞬く間に呼吸状態が悪化する病状に看護の力が試される日々が繰り返さていたように思えます。

病棟の状況は日々メディアで報道されている状況と同じで、看護師の活躍と共に、労働環境の辛さが強調される傾向がありました。確かにその通りでした。常にビニール製の防護服に身を包み、袖口から汗が流れ、顔面を覆うゴーグルが熱で曇り視界が妨げられる中での細かい作業、看護師の身体は時間の経過と共に脱水状態になり、体力の消耗が激しい…。そんな中で私たちのモチベーションを高めてくれたのは、呼吸状態が改善するのが目に見える患者さんの姿でした。そして、最も私たちに力を与えてくれたのは、症状が改善して退院していく患者さんから贈られる言葉とその姿でした。患者さんから「入院したとき『死』を覚悟し不安でしたが、毎日先生や看護師さんに優しく言葉を掛けていただき、検査の結果や病状の説明を聞いていたので、不安は払拭されどんどん元気になっているんだと希望を持って闘病できました。人と会話することでエネルギーがもらえて薬になっているんだと感じました。」と言われ、とてもうれしくなったのを昨日のことのように覚えています。

病院から見る夜明け前、東の空がオレンジ色になり始める頃、地平線に航空障害灯の赤いランプが宝石をちりばめたように瞬く、人流が制限され街の動きが止まったからか、大気が澄んで遠くまで見渡せる…。いつまでウィルスとの闘いが続くのでしょうか。ワクチン接種が始まりようやくトンネルの先に小さな光が見えてきたように思います。いつかまた結核病棟に戻るときに、私たちは専門知識や技術を駆使し難題に立ち向かうことが出来たと言えるように、これからも闘っていきたいと思います。

コロナチーム看護師コロナチーム看護師

【2021年6月 記:看護部 伊藤 晴美】